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特集 / クリスチャン・ボルタンスキー

追悼クリスチャン・ボルタンスキー「ありがとう、クリスチャン」

特集

7月14日、世界中に伝えられたクリスチャン・ボルタンスキーの訃報。最も長く、深く大地の芸術祭に関わり続けたアーティストの一人だったボルタンスキー。追悼の意を表し、彼と越後妻有の歴史を振り返る。

テキスト・編集:アートフロントギャラリー

18 July 2021

2000年「リネン」 Photo by ANZA ï

7月14日、クリスチャン・ボルタンスキー氏がパリの病院で逝去されました。76歳でした。その訃報は日本でも大きく伝えられ、ここ越後妻有でも多くの人がその死を悼んでいます。ボルタンスキーは、最も長く、深く大地の芸術祭に関わり続けた外国人アーティストでした。

2000年、第1回の大地の芸術祭で制作した《リネン》は、信濃川の支流の清津川の河川敷にある0.5ヘクタールの畑にワイヤーを張り、そこに住民から集めた数百枚の白い古着を等間隔に吊るというものでした。「お金がないだろうから」と考えてくれた案でした。光を反射し、風にゆらめくそれは、「この地を生きた人たち、そこを出ていかざるを得なかった人たちの魂のふるえ」のようであり、彼が一貫してテーマとした人間の存在と不在、生と死を見事に表現するものでした。夕暮れになると子どもたちがやってきて、「出る~!出る~!」と興奮して走り回っていました。地元の人たちと楽しそうに作業し、彼らが着ているTシャツににこやかにサインをしていたボルタンスキーの姿が想い出されます。

2003年「夏の旅」ジャン・カルマンとの共作 Photo by ANZA ï

2003年「夏の旅」ジャン・カルマンとの共作 Photo by ANZA ï

2003年、第2回の芸術祭。ボルタンスキーは自ら参加を申し出、舞台照明家として国際的に著名なジャン・カルマンとともに松之山の旧東川小学校を舞台に《夏の旅》を展開します。玄関に吊るされた無数のスリッパ、理科室の野の花、教室に吊られた子どもたちの衣服、体育館から聴こえる唱歌。そこには、かつてその学校にいた子どもたちの気配が漂い、白昼夢のようにその姿が幻視されるのでした。

2006年「最後の教室」ジャン・カルマンとの共作 Photo by T. Kuratani

2009年「最後の教室」3階空間をリニューアル(※1)Photo by Miyamoto Takenori + Seno Hiromi

第3回、ボルタンスキーとカルマンは同じく旧東川小学校で、今度はパーマネントな作品を制作するために記録的な豪雪となった冬の越後妻有を訪れました。一年の半分近くを雪の中で過ごす越後妻有を知りたいと望んでのことでした。体育館には藁が敷き詰められ、大量の古い扇風機がその匂いと熱気を煽り、降り続く雪の残像と裸電球が揺らめき、理科室からは心臓音が聞こえる――それはボルタンスキーの心臓音を録音したものでした。内覧会には地元のお年寄りが大勢訪れ、雪のような白いシーツの上に並べられたアクリルの棺を見て、「そう、雪に閉じ込められた冬はこんな感じ」とささやきあっていました。彼らに持ってきてもらった地域や学校にまつわるモノは、音楽室の奥にひっそりとおさめられています。この《最後の教室》は越後妻有を代表する作品となり、今も最も人気のある作品のひとつです。

第4回では、この作品内で来訪者の心臓音を録音するプロジェクトを実施し、それは2010年、瀬戸内国際芸術祭で《心臓音のアーカイブ》として瀬戸内海の豊島に結実します。

※1: 2009年3階の空間をリニューアルし、カーテンを増やして仕切り直し、印象を一変させた。また期間限定で古着を積み重ねたインスタレーションを実施したり、作品とは別で、作家が世界各地で進める心臓音を採取するプロジェクトのブースが設置され、50日で416人の心音を採取。2010年の瀬戸内国際芸術祭の《心臓音のアーカイブ》へと繋がった。

2012年「No Man’s Land」Photo by Nakamura Osamu

そして2012年の第5回、ボルタンスキーは十日町の越後妻有里山現代美術館[キナーレ]の中庭で《No Man’s Land》を発表します。この作品はミラノ、パリ、ニューヨークですでに行われていましたが、制作にあたってボルタンスキーは東日本大震災の被災地を訪れました。16トンの膨大な古着の山。その服を「神の手」と称されたクレーンが無作為につかみあげ、落す。まるで人間の運命を示唆するようなその作品は見る者を圧倒しました。

▲トリエンナーレ開幕直前の2012年7月26日、クリスチャン・ボルタンスキーが「No Man’s Land」の最終調整を行った際の記録映像(制作:今井善昭)

 

 

2018年「影の劇場~愉快なゆうれい達~」Photo Nakamura Osamu

その後もボルタンスキーは《最後の教室》のある旧東川小学校の2階に《影の劇場~愉快なゆうれい達》を設えるなど越後妻有に関わり続け、次回の大地の芸術祭のための準備も進めていました。《最後の教室》の運営に関わる地元のお年寄りたちは、訪れる人たちにボルタンスキーの代弁者のように、その作品の意図を説明し、大切に作品を守り続けています。

私たちのもとには国内外の多くの人たちからボルタンスキーの死を悲しみ、悼む声が寄せられています。幼い子供からお年寄りまで、膨大な数の人々がボルタンスキーの作品を体験し、強烈な印象を持ち続けているのです。ボルタンスキーは、いつか自分の名前が忘れられても、その作品が古いお寺や神社のように、巡礼の地となることを望むと語りました。越後妻有にそのような場所を遺してくれたこと、私たちに美しい思い出を残してくれたことに感謝するとともに、心からのご冥福をお祈りします。

プロフィール

クリスチャン・ボルタンスキー

フランス

1944年フランス、パリ生まれ。 1968年に短編映画を発表し、1972年にはドイツのカッセルで開かれた国際現代美術展のドクメンタに参加して以降、集団や個人の記憶、存在と不在を作品の主なテーマとして世界各地で作品を発表する。日本との関係も深く、1990–91年にICA, Nagoyaと水戸芸術館、2000年以降現在に至るまで、大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭に参加し恒久設置作品を制作。2016年東京庭園美術館、2019−20年国立国際美術館(大阪)、国立新美術館(東京)、長崎県美術館にて個展を開催。2006年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。主な作品収蔵先に、ニューヨーク近代美術館、テートギャラリー、ポンピドゥー・センターなど。現代のフランスを代表する作家として知られる。2022年の夏に開催が決まった第8回大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにも出展が予定されている。

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