特集 / イリヤ&エミリア・カバコフ
20年以上にわたり越後妻有の活動を支持してきたイリヤ&エミリア・カバコフが、自身の夢を地域に託し、2021年の夏「カバコフの夢」として結実。本プロジェクトキュレーターがプロジェクト全貌を綴る。
テキスト・編集:鴻野わか菜(「カバコフの夢」キュレーター・早稲田大学)
27 March 2021
2021年の夏、「大地の芸術祭」で、旧作2点、新作6点から成る、世界でも他に例を見ないイリヤ&エミリア・カバコフの作品群が「カバコフの夢」として誕生します。
イリヤ・カバコフは1933年、旧ソ連生まれのユダヤ系アーティストです。1950-80年代は、ソ連の文化統制下で、公的には絵本の挿絵画家として活動しながら、非公式の芸術活動を続け、国外への移動の機会も自由な発表の場も得られない過酷な環境のなかで「自分のため」の作品を制作し続けました。80年代半ばに海外に拠点を移してからは、ソ連的空間を再現した総合空間芸術(トータル・インスタレーション)を通じて、人々の夢や記憶を表現しています。
カバコフは、「大地の芸術祭」では、代表作《棚田》(2000年)の制作から、《人生のアーチ》(2015年)を経て、20年以上にわたり越後妻有の活動を支持してきました。越後妻有の大地と自然は自分にとってつねに特別な場所であり続けてきたとカバコフは語ります。作家にとって越後妻有はどのような意味を持っているのでしょうか。その思いを伺いました。
プロフィール
イリヤ&エミリア・カバコフ
ロシア(旧ソビエト連邦)
イリヤは1933年、旧ソ連(現ウクライナ)生まれ。ソ連時代は公的には絵本の挿絵画家として活躍する一方で、非公式の芸術活動を続けた。80年代半ばにドイツを経てアメリカに移住し、ソ連的空間を再現した「トータル・インスタレーション」をヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタに出展。1988年に、エミリア(1945年生)とのコラボレーションを始める。日本でも「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」展(1999年)、「イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画」展(2007年)等の個展を開催し、越後妻有では《棚田》(2000年)、《人生のアーチ》(2015)を恒久設置した。2008年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。ニューヨーク在住。
カバコフ:なぜ越後妻有かというのは良い質問です。なぜ、これほど重要な作品群をこの離れた場所に設置するのでしょうか。私たちが最初に越後妻有に来たとき、私たちは何か魔法のような雰囲気に強く惹きつけられました。山、水、雪に覆われた田畑。ここで人間を取り巻く平和と静けさは、独特な希有な感情をもたらし、人生の意味について、人生とその目的について深く考えさせます。越後妻有に設置される私たちのインスタレーションは、私たちの最も重要な作品に属しています。
カバコフ:作品《棚田》を例にとってお話ししましょう。他者が生きて生命を維持するために重要な何かを作り出すために生涯を捧げている人々に、私たちは普段注意を向けることはあまりありません。私たちはテクノロジーや日頃から慣れ親しんでいる他の多くの物質的なものがなくても生きることができます。しかし、食べ物や水などの素朴なものなしで生きることができるでしょうか? そうは思いません。そして、私たちの最初の作品である《棚田》は、贅沢な報酬や感謝の言葉さえも期待せずに、非常に困難な日々の仕事を静かに行なっている人々を祝うものでした。
カバコフ:そして《人生のアーチ》ですが、私たちはみな、人生という同じ船に乗っています。この世に生を享け、生き残るために戦い、しばしば這いつくばり、他者を恐れ、目の前に立ちはだかる人生の困難や障害の壁を登り、人生という重い荷物に押し潰されて倒れ、人生の終わりには静かに休息するのです。
カバコフ:これらのプロジェクトが越後妻有にあるのは大事なことです。越後妻有で暮らす人々は、日々の生活、仕事、気候、人生が与えるあらゆるものの厳しさを知っています。彼らは生きていく方法、ささやかな喜びを楽しむ方法、伝統と文化を味わう方法を知っています。ここには多くの訪問者や観光客が来るでしょう。人々が見て考えて楽しむために、アーティストたちが世界でも最も素晴らしいアートプロジェクトをここで行なっているのですから。
カバコフ:私たちを招待してくださったことについて、そして私たちの夢やアイデアを実現し、私たちの作品を受け入れてくださったことについて越後妻有のあらゆる方々に感謝の気持ちを伝えたいと思います。アーティストであることはそれほどたやすいことではありません。私たちは今の世代、そして未来の世代のために越後妻有に作品を設置できることを心から感謝しています。
「棚田」(2000年)/ 越後妻有で米作りをする人々をかたどったオブジェを棚田に設置し、その手前には、米作りを描写するカバコフの詩を配置。(photo NAKAMURA Osamu)
「人生のアーチ」(2015年)/人生の諸段階を表す5つの像から成るとカバコフは語る。「卵」の形をした人間の頭は、人生の始まりを表す。「少年の像」は、人生に向きあうことを恐れてライオンの仮面を被っている。「光の箱を背負う男」は、暗い生を照らしつづけるために光を運び、「壁を登ろうとしている男 あるいは永遠の亡命」は、周囲の状況や人生から逃げようとしている。最後の彫刻は「終末、疲れた男」であり、ひどく重いものを背中に背負ったまま、立つこともできなければ、姿勢を変えてくつろぐこともできない。(photo NAKAMURA Osamu)
カバコフが越後妻有で制作してきた作品は、作家のこれまでの生涯と創作の軌跡を反映したものであると同時に、カバコフが語るように、地域の人々の生活や労働への共感の内に生まれてきたものです。文章とオブジェと風景を重ね合わせて鑑賞する《棚田》は、自然の中に広がる絵本のようでもあり、絵本作家としてのカバコフのソ連時代の体験も反映していますが、それと同時に、この土地で働き生き抜いてきた人々を記憶し、永遠化したいという強い願いに貫かれています。
カバコフは海外のメディアでも越後妻有についてしばしば語り、2018年にはロシアのメディアで、越後妻有の住民から受け取った《棚田》についてのお礼の手紙の文面を引用しています。手紙には、「カバコフご夫妻、私たちはとても感謝しています。今まで誰もこんな風に生き生きと私たちを表現してくれたことはなかったからです」と書かれていました。
北川フラムさんから、過酷な状況の中でカバコフが様々な夢を見続けてきたことを示すアーカイブを作りたいのだと伺って以来、どのような作品を展示するべきか、作家と共に考えてきました。そして新しく設置することになったのが、次の6点です。
農舞台では3室を使って3つの作品が展示され、カバコフの作品の写真や資料も紹介されます。
《10のアルバム 迷宮》 フランクフルト現代美術館での1998年の展示。Photo Axel Schneider
《10のアルバム 迷宮》は、カバコフが1970年から74年にかけて制作した作品です。カバコフは幻想的な短編小説の名手であり、この作品は、ソ連に住む10人の夢見る人々を主人公にした10の物語とドローイングで構成されています。自由な空で生活することを夢想する男、プライヴァシーのない劣悪な住環境の中でクローゼットに閉じこもって生活するうちに、外の広い世界を夢見ながら、やがて「消えてしまった」男などをめぐるファンタジーが展開されます。ソ連時代にはカバコフはアトリエやアパートで友人たちに、このアルバムを朗読して紙芝居のようにして見せていましたが、展覧会では迷宮のような台座の上に置くことで、観客が物語の世界に没頭できる仕掛けになっています。
《プロジェクト宮殿》より、強力なポンプを使って雲を地上に手繰り寄せ、給水や乾燥地帯の加湿に使うプロジェクト。ソ連における自然統御や科学技術の夢も反映している。
農舞台では、カバコフの創作において重要な意味を持つ《プロジェクト宮殿》のオブジェも制作されます。《プロジェクト宮殿》は、人間の計画や夢を人々の生きた証と捉えて、挫折した夢、実現不可能な夢も含めて保存するための宮殿として構想されています。そこに登場するのは、ソ連の市井の人々(カバコフが作り出した架空の人物)です。最初に作られたバージョンは65のプロジェクトから成り、2001年からドイツのエッセンで常設展示されていますが、越後妻有では、その中から選りすぐりの6つのプロジェクトを再制作します。「天使に会いたい男が、途轍もなく高い梯子に昇って自らを危険な状況に置くことで天使に迎えに来てもらおうとする計画」、「毎日、一定時間天使の羽を背につけて部屋にこもることで、より良い人間になろうとする計画」など、自分や人生をより豊かにするためのささやかな計画が収められています。
イリヤ・カバコフによる《アーティストの図書館》のイメージ。
《アーティストの図書館》は、カバコフの限定版のアーティストブックなどを鑑賞するためのライブラリーです。カバコフにとって、図書館や古文書館など、人々の人生や文化の営みを記録し保存する場所は、創作の重要なテーマであり続けてきました。
《手をたずさえる塔》の模型。このモニュメントは、世界や地域の状況を反映して、光を当てられることで色を変える仕掛けになっている。
松代の山中には、巨大なモニュメントである《手をたずさえる塔》が設置されます。カバコフはこの作品について次のように述べています。
カバコフ:多様性を重んじること、手をたずさえることは、世界で最も重要であるのにないがしろにされているものの1つであると私たちは考えています。「手をたずさえる」とはすなわち、あらゆる人種、国籍、文化の人々がお互いを人間として受け入れるだけでなく、あらゆるレベルで他者の知識を尊重し、理解し、育てるのを助けることです。真の意味で手をたずさえるために最良の方法は、文化と子供たちの教育です。私たちは植物や動物の世話をします。なぜなら私たちがそれらを必要としているから。しかし、私たちは子供たちが成長するにあたり、世界を理解するのを助けようとしなかったり、自分自身、他者、彼らが対処しなければならない人生に向き合うための価値観とモラルを与えようとしなかったりします。
カバコフ:文化は、教訓的な方法ではなく、美術や文章やより繊細なアプローチを通じてそれらすべてを伝えることができます。私たちは、子供たちが彼らの関心、恐れ、願いについて話すための場として、《手をたずさえる船》というプロジェクトを行ってきました。そして今回私たちは、人々のつながりを表すモニュメント、人々がお互いの違い、彼らの問題、関心について平和的に話し合うのを促すための塔を作ります。アートを介して、手をたずさえることの大切さを全世界に広めたいのです。
《手をたずさえる船》。カバコフは2021年に、日本の子供達と世界の子供達が共にこのプロジェクトに参加するオンラインの催しを実施したいと計画している。
カバコフが言及している《手をたずさえる船》は、2005年に始まったプロジェクトで、これまでエジプト、イタリア、スイス、アラブ首長国連邦、キューバ、アメリカ、ロシアなどで実施されました。カバコフがデザインした船の上で、世界中の子供たちの絵をモザイクのように組み合わせて帆を作り、創作や交流を通じて子供が多様な文化や思想の尊重を学ぶことを目的としています。妻有では、《手をたずさえる塔》の台座に設けられる展示室に、《手をたずさえる船》の模型が設置されます。
カバコフのアトリエにおける《16本のロープ》展示風景。1984年。Photo Jurii Geltov
越後妻有里山現代美術館[キナーレ]では、カバコフが1984年以降、繰り返し取り組んできた《16本のロープ》が展示されます。頭上に張り巡らされた16本のロープに紙切れや木片など数百個の「ゴミ」がぶら下がり、ゴミにはすべてメモがついています。メモに書かれているのは、自然、子供、家事、愛などをめぐるさまざまな会話です。
「今日は早く家に帰ってきてね。ドアを塗るのを手伝って」
「どうして泥んこになったの? 誰が洗うの?」
これらの言葉は「個人のものであると同時に皆の言葉である」と作家は述べています。本作は、カバコフの他の作品と同様に、日常のささやかな出来事から成るあらゆる人々の人生を記憶したいという作家の思いを反映するものです。ゴミもカバコフの作品において、記憶や思い出の象徴としての意味を持っています。(本作は2021年6月20日まで、まつだい郷土資料館にて特別先行展示されています。)
カバコフの自伝や自作年譜は、驚くほど多くの「苦しい」、「怖い」、「不安だ」という言葉で埋め尽くされています。カバコフは、生涯苦しみ続けてきた人であり、その中で夢見続けてきた人でした。
ソ連時代のカバコフは、自由に国外に行くこともできず、50代半ばになるまで自分の作品を展示する機会もほとんどなく、いつかその状況に変化が訪れるとも知らずに、アトリエにこもって制作していました。非公認の制作を行っていることで秘密警察に逮捕されるのではと怯えるあまり、自分が逮捕される瞬間を繰り返しドローイングに描きました。閉塞的で、生存の危険に満ちていた当時のソ連の状況は、現在のパンデミックの状況にも通じるものがあります。
カバコフはアメリカ移住後も、亡命者としての疎外感や病に苦しみ、そうした自らの境遇を《人生のアーチ》に重ねました。しかしそれと同時に、《10のアルバム》や《プロジェクト宮殿》などの様々な作品を通じて、ユーモラスな夢、幻想的な夢を描き続けました。
人間の夢や記憶の保存を主題にしたカバコフの一連の作品は、生きることは困難だが夢を見ることはできる、そして夢はたとえ実現しなくても、また、たとえ他者にとって荒唐無稽なものに見えても、夢見ること自体に意味があるということを物語っているようです。カバコフの作品の多くはソ連を舞台にしていますが、人間の生、苦悩、願望という普遍的な主題を扱っています。妻有に新しく生まれる《カバコフの夢》は、カバコフの夢のアーカイブであるだけでなく、あらゆる人の生と夢に捧げられた共生のプロジェクトです。
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