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物語 / 私と「大地の芸術祭」第3回(前編)

国境をこえて文化の架け橋となる「大地の芸術祭」

北京・HUBART理事長 / 「中国ハウス」プロジェクト発起人 孫倩

北京・HUBART理事長 / 「中国ハウス」プロジェクト発起人

孫倩さん

「大地の芸術祭」を支えてくれる方々に、その魅力を語っていただくこの連載。今回のゲストは、芸術祭の中国公式提携先であるHUBART(瀚和文化)の理事長、孫倩さんです。孫さんは、2015年に初めて越後妻有の地を訪れて以来、熱心なファンとして積極的に芸術祭と関わってきました。それは、集落の空家を利用した中国アーティストのレジデンス施設「中国ハウス」の誕生へとつながります。

テキスト:中島晴矢 撮影:豊島望 編集:内田伸一、宮原朋之(CINRA.NET編集部)

あなたにとって大地の芸術祭とは?

人と自然が融和した、人類の理想の家であり、故郷。


21 December 2019

「大地の芸術祭」との出会い

「大地の芸術祭」の中国公式提携先であるHUBARTの理事長である孫倩さんは、もともと北京でギャラリーを運営しながら、社会とより関連性の高いアートプロジェクトに携わることを考えていたと言います。そんな孫さんが同芸術祭と出会ったのは、たまたま目にした一つの記事でした。

それは日本を紹介する本に掲載されていた、小さな写真1点と短い文章だけの、本当にささやかな記事でした。そこに載っていた内海昭子さんの作品「たくさんの失われた窓のために」に、強く衝撃を受けたんです。それまで私は、アートは美術館やギャラリーといった室内で見るのが当然だと思っていました。でも、あれほど素晴らしい作品が野外に展示されていることに、とても驚きました。それが「大地の芸術祭」を意識するようになった、最初のきっかけです。

多忙だった彼女は、まずは周囲の知人やアーティストたちに「ぜひ芸術祭を見に行ってみて! そして様子を教えて」と伝えたそうです。ようやくご自身で越後妻有の地を訪れることができたのは2015年、第6回の「大地の芸術祭」。同年5月に中国の杭州で行われた、「大地の芸術祭」総合ディレクター・北川フラムの講演会で、芸術祭のパスポートを買ったことが決め手でした。

数名の美術関係者を連れて、7月の開幕式に参加したんです。初めて実地で鑑賞する芸術祭はとても感動的でした。実際に作品を見て回って、改めて「アートには命があるんだ」と思いました。それまで15年ほどアート界で活動してきて、こんなにも力強い経験が得られたことはなかったですから。帰国した翌月には、約20名を引き連れて再訪したくらいです。

まだ提携しているわけでもないにもかかわらず、「芸術祭のファンとして、個人的な情熱で動いていた」と孫さんは笑います。

室野集落の「中国ハウス」誕生

その後、孫さんは同芸術祭で中国のアーティストを紹介する場を設けられないかと考えます。

当時、中国の美術市場が拡大したことで、若いアーティストたちはマーケットを意識してばかりいました。でも、お金だけがアートではありませんよね。芸術祭はアーティストの発想力が刺激される世界。大自然のただ中という絶好のロケーションで、中国の若手アーティストたちの作品をぜひ見てもらいたくなったんです。

さっそく企画書を作ると、北川総合ディレクターらに相談した孫さん。結果、プロジェクトの拠点候補として、十日町市の室野集落を案内されます。それが2016年3月のこと。雪の降るなか、閉校した小学校の跡地である「奴奈川キャンパス」を見てから、近くの古民家へ。その建物の外観にピンときて「ここだ」と思ったそうです。それが同年8月に中国のアートベース「中国ハウス」として生まれ変わることになります。

鄔建安(ウー・ケンアン)「五百筆」2018年(撮影:中村脩)

私たちはここでただ発表するのではなく、地域の方々と仲良くしたいと考えました。だから何回も説明会を開いたり、奴奈川キャンパスで桜の植樹に参加したりしながら、地元の皆さんの意見やルールを学び、きちんとコミュニケーションを取るよう心がけたんです。それは何より「住民たちの祭り」というこの芸術祭の理念に共感したから。やはり私たちも、地元の方の意見を尊重した上で活動していきたいと思っています。

「郷に入りては郷に従え」。このことわざの起源は、中国の「入郷随俗」だと言われますが、まさに孫さんたちは、室野という「郷」に根を張ろうと試みたのでした。

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