芸術 / MVRDV
まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」
芸術 / MVRDV
まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」
聞き手・編集・翻訳:前田礼(株式会社アートフロントギャラリー)
05 November 2024
2003年、田んぼの中に真っ白い建物「まつだい雪国農耕文化村センター『農舞台』」(略称:まつだい「農舞台」)が現れた時の衝撃は今も多くの人の記憶に鮮やかに刻まれているのではないでしょうか。現在、農舞台は越後妻有のシンボルのひとつであり、さまざまな活動が展開される大地の芸術祭の重要拠点となっています。そのユニークな建築の設計を担ったのは、オランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団MVRDV。MVRDVは、1993年に3人の建築家によって設立され、1997年に手掛けた住宅プロジェクト「高齢者のための100戸の集合住宅『オクラホマ』」により世界的デビューを果たし、2000年のハノーバー万博オランダ館でその評価を決定的なものとします。現在は、300人を超えるチームが世界各地で独創的なプロジェクトをグローバルに展開しています。
農舞台誕生21周年を機に、MVRDV創立者のひとりで、農舞台のプロジェクトを中心となって担ったヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs)氏のインタビューをお届けします。
MVRDV/ヤコブ・ファン・ライス ©Barbra Verbij
◀まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」
2003年に松代エリアに建てられた「大地の芸術祭」の拠点施設のひとつであり、MVRDVがアジアで初めて手掛けた作品。農舞台の館内とその周辺には約40の作品が点在し、一帯を”まつだい「農舞台」フィールドミュージアム”と呼ぶ。(Photo by Nakamura Osamu)
Q:現在、第9回大地の芸術祭が開催されており、連日多くの人たちが農舞台を訪れています。あらためて農舞台を設計してくださったことに感謝します。1999年、北川フラムが初めてロッテルダムのMVRDVの事務所をたずねたときのことを覚えていますか?
金曜日の午後だったと思います。私たちはまだロッテルダム港のシーハーフェンにあるオフィスにいました。その日の午後、何のアポイントもなかったのですが、突然ドアをノックする音がして、ちょうど目の前に日本人の男性が立っていました。それが北川フラムさんでした。英語はあまり話せませんでしたが、彼はこの町に来ていて、MVRDVを訪問するように勧められたとのことでした。彼がアートの世界に関わり、展覧会を企画し、当時アムステルダムを拠点にしていたマリーナ・アブラモヴィッチを訪ねていたことをテレビで知ったのは、後になってからでした。また、彼の義兄(注:原広司氏)が建築家であり、その推薦があったことも後になってわかりました。
彼は大地の芸術祭、地域全体、アート、ギャラリーの概要を説明し、芸術祭の拠点のようなものを建設する計画であると語りました。彼が去った後、私たちはいろいろ調べて、その場所の計画が実際に起こっていることを知りました。ですからこの訪問は私たちにとって本当に幸運なものだったのです。
運もよかったのです。今はもう独立しているのですが、吉村靖孝がその後すぐに私たちの事務所で働き始めたのです。彼は、フラムさんやアートフロント、日本での共同者たちとのコミュニケーションを図り、とても優秀でした。彼は日本政府から将来性のある建築家に対する奨学金を受け、働きたい事務所を指名することができ、この奨学金のおかげで私たちは彼に非常に安い報酬で仕事をしてもらうことができたのです。本当に完璧なタイミングでした。
Q:農舞台の設置条件は、
●冬は「ほくほく線」の横にラッセル車の除雪の山ができる
●高圧線がかかった状態で建物が展開する
●カバコフの「棚田」を見る台を建物に組み込まなければならない
●建築内にできるだけアート作品を入れる
というものでした。それらの条件をクリアできる建築家ということで、あなた方が選ばれたわけですが、それに対して、あなたたちの建築はどのように回答したのでしょうか。建築のデザインは、どのようなアイデアから生まれましたか。一番苦労した点、面白かった点を教えてください。
このプロジェクトはアートフロントギャラリーから依頼があったわけですが、自治体のセンターのようなものでもありました。大地の芸術祭が開催されるのは3年に1度ですから、その時は当然、芸術祭に興味がある人たちが訪れて雰囲気が変わります。それ以外のほとんどの時は、住民のための建物になります。そこは田舎であり、高齢化が進んでいる場所です。高齢化は日本全体で既に起きていた現象ですが、地方のコミュニティではより急速に進行しており、人の住んでいない村や廃墟のような建物が顕著でした。
彼らは、都会から訪れた人たちがこの地域を発見し、例えば週末に家を借りたり、どんな可能性があるのかを知るためのツールとして文化を使いたかったのです。松代は鉄道駅があったので、他の場所よりいくらかはよかった。そこで私たちは町を見に行き、このプロジェクトをプレゼンしたのですが、ほとんどが高齢者で埋め尽くされた部屋で――男性は全員80歳以上だったでしょうか――彼らはデザインについて特に気にすることはなく、唯一のフィードバックは「あなた方は全然違うところから来たのだから、気候、特に雪に気をつけるように」ということでした。この地域は大陸性気候で、夏はとても暑く、湿度も高い。冬は非常に寒く、大量の雪が降り積もり、それが建物に重くのしかかる。そしてもちろん地震の危険もあります。
冬の農舞台
構造条件は控えめに言っても刺激的で、私たちは、多くの有名な日本の建築家と仕事をしている佐々木睦朗氏が主宰する佐々木睦朗構造計画研究所という優れた構造設計事務所に依頼しました。私たちのアイデアは、冬は雪のない場所、夏は日陰になる場所を作るために、「持ち上げられた」建物を作る必要があるというものでした。それはデザインのことではなく、建物を作り、それを持ち上げて、その下に柱がないようにして、近隣住民のためのスペースを確保するということでした。だから、構造は実施設計にとって重要でした。
◀イリヤ&エミリア・カバコフ「棚田」
農舞台建設前の2000年制作時。(Photo by ANZAÏ)
Q:2000年に最初にあなたたちの提案が提出された時は、和風の建築でなければだめだということで、松代町に拒否されました。それが2002年に同じ提案を出した時にはすんなり受け入れられました。その経緯をどのように受け止められましたか。
今、お話した会合がそれですね。私たちのデザインは「超ローカル 」で、コンテクストをよく考えたデザインでした。私たちは田んぼを含むルートを作りました。冬は、住民が除雪した雪の壁の横を回廊のように歩き、その回廊が階段とアクセスポイントに展開していく。すると住民の方たちは、これが自分たちのために特別にデザインされたものであることを理解してくれたのです。UFOが自分たちのコミュニティに飛来するように、オランダからやってきた人たちが考えたものではないということを。そして私たちが雪をイメージして白を基調にするのがクールだと言うと、彼らはOKしてくれました。
そしてもちろん、次の大きな課題は構造でした。エンジニアは、脚のようなブリッジをアーチのように、つまり弓のような構造にして、地面にケーブルを張るというスマートなアイデアを構想しました。弓のような形をとることで、張力によって構造を軽くすることができるわけです。エンジニアの2つ目のアイデアは、大きなスパンで大きな梁を使うのではなく、梁をより小さく、より高くするということでした。屋上に山状の彫刻がありますが、実はこれは格子状に配置された構造です。屋上の拡張は一種の構造の「力場」となり、使用する鋼材が少なくてすむため、建物自体をより安価にすることができるのです。このような工学的な要素は後から起きたものですが、私たちがそのストーリーを説明すると、住民の方たちはその提案を受け入れ、それが地域に対するレスペクトに満ちたものであるということを理解してくれました。
駅から見た農舞台。手前に草間彌生の作品「花咲ける妻有」が見える。(Photo by Nakamura Osamu)
農舞台の廻廊(ジョセップ・マリア・マルティン「まつだい住民博物館」)
農舞台のピロティ
Q:日本側の実施設計はCLIPが担当し、アートフロントギャラリーがアーティストとのコーディネートにあたりました。
このコラボレーションは本当に素晴らしかった。共同設計者であったCLIPは、アートフロントギャラリーとも仕事をしたことのある東京の設計事務所です。また吉村靖孝のMVRDVでの在籍期間が終わろうとしていた頃で、彼が日本に帰国したときにプロジェクトが建設段階に入るという、本当に絶妙なタイミングでした。吉村は東京にいたので、「仲介者」として建設をフォローすることができました。
当時は、すべてがファックスで行われていました。朝になると、日本からスケッチ入りのファックスが送られてくる。とても詳細なものばかりでした。私がOMAにいた頃、当時福岡で仕事をしていたレム・コールハースは、議事や会議の進め方についてよく話していました。建築家が 「戦う 」ことが必要となる他の多くの国と比べて、日本では建築家に対して本当に敬意が払われている。契約書はずっと薄いし、会議には優先順位がない。オランダでは通常、最も重要で難しい部分から始めます。日本では議事はシンプルな項目のリストであり、前の問題が解決しなければ次に進めません。つまり、トイレのドアの取っ手について話していれば、次は工事の手順と予算の話になる。そのため会議はかなり長くなることもありましたが、会議が終われば、すぐに行動することができます。すべて解決しているわけですから。
アーティストについては、リストをもらっていました。私たちの考えは、彼らに一つのガイドラインを与えることでした。一人のアーティストに一つの部屋を与え、それぞれの部屋には一つの色があり、それがコンテクストの一部であるという、非常にわかりやすいものでした。ガイドラインに厳格に従ったアーティストもいれば、私たちの方でアーティストのアイデアを建物にうまく溶け込ませるような場合もありました。ですから、ほとんどのアート作品は建築と融合していると思います。
CLIP「遊歩道整備計画」 Photo by ANZAÏ
河口龍夫「『関係 – 黒板の教室』(教育空間)」Photo by Nakamura Osamu
ファブリス・イベール「火の周り、砂漠の中」Photo by ANZAÏ
ジャン=リュック・ヴィルムート「カフェ・ルフレ」(越後まつだ里山食堂)Photo by ANZAÏ
Q:農舞台は、MVRDVにとってヨーロッパ以外で実現した初めての建築になったわけですが、その経験はその後のあなたたちのキャリアにとってどのような意味を持ちましたか。
まず、日本に旅行できたことは素晴らしいことでした。学生時代、私はすでに日本の建築に魅了されていました。安藤忠雄に始まり、伊東豊雄、妹島和世など、彼らは一種の構造的なアプローチをもった建築家です。彼らのプロジェクトを訪れることができたのも、素晴らしかった。
また、東京工業大学の客員教授としてアトリエ・ワンと一学期を過ごすこともできました。彼らも同時期に越後妻有で活動していたのです。私たちは彼らの住宅プロジェクトを通じてその仕事を知っていたので、彼らが越後妻有に関わっていることは素晴らしいと思いました。彼らがやっていることを本当に尊敬していたし、そこで知り合ったことで、さらに友情が深まりました。
塚本由晴/アトリエ・ワン+三村建築環境設計事務所「節黒城跡キャンプ場コテージB棟」 Photo by Nakamura Osamu
農舞台がすぐに他のプロジェクトにつながることはありませんでしたが、その後、表参道のファサードプロジェクト(GYRE)の依頼があり、2007年に完成しました。でも、日本で建築を仕事にするのは一般的には難しいかもしれません。クライアントからアプローチがあっても、「こちらから連絡します」という感じなので、ビジネス開発は限定的なものになってしまいます。しかし、日本で仕事をすること自体は素晴らしいことです。私の同僚であるヤン・クニッカーとホイ・シン・リャオは、最近GYREを訪れましたが、今でも素晴らしい外観でした。あのプロジェクトでは、竹中工務店が地元設計者の役割だけでなく、建設、データ設計、建築備品の納入や一部投資も担っていました。評判は重要であり、クライアントを喜ばせるためにはベストを尽くさなければなりません。私たちにとって日本で仕事をすることは常に夢であり、日本にはまだ職人技に対する愛情が多く残っていると思います。
Q:この20年、どのように農舞台、そして大地の芸術祭の展開を見てこられましたか。
その後、一度、個人的にですが、休暇で家族と訪れたことがあります。景観の中にあるアート作品のコレクションが増え続けていて、素晴らしい旅の目的地になっていると思いました。すでにこれだけ長い間開催されているということは、その成功の証であり、回を重ねるごとにさらにエキサイティングになっていると思います。ただ、とても遠いので…。そうでなければ毎回見に来るのに。
Photo by Nogawa Kasane
大地の芸術祭と越後妻有が今後も発展し、十日町市や新潟県の地域社会を支えていくことを期待しています。
PROFILE
オランダ、ロッテルダムでヴィニー・マウス(Winy Maas)、ヤコブ・ファン・ライス(Jacov van Rijs)、ナタリー・デ・フリイス(Nathalie de Vries)によって設立された建築家集団。名前の由来は三人の頭文字からとったものである。徹底的なリサーチと専門家とのコラボレーションによるデザイン手法により建築・景観・都市の最適解を導き出す。現在はロッテルダム、上海、パリ、ベルリン、ニューヨークを拠点に、300人を超えるスタッフが世界各地で活動を展開する。(写真:©Erik Smits Jacob)
https://www.mvrdv.com/
作品紹介1
ロッテルダム中心部にある、世界初の完全にアクセス可能な美術品収蔵庫。美術館の舞台裏を垣間見るように、収蔵品にアクセスできる。反射する円形のボリュームは、周囲の環境に呼応している。展示ホール、屋上庭園、レストランに加え、アートとデザインのための膨大な収納スペースがある。(写真:© Ossip van Duivenbode )
https://www.mvrdv.com/projects/10/depot-boijmans-van-beuningen
作品紹介2
アムステルダムにある高さ67m、81m、100mの3つのタワーとアパートメントからなる「渓谷」を想起させる緑と人間の活動が混ざり合う、オフィス、商業施設、住居を含む複合施設。2021年のエンポリス・スカイスクレイパー・アワードで世界最高の超高層ビルに選ばれた。(写真:© Ossip van Duivenbode )
https://www.mvrdv.com/projects/233/valley
作品紹介3
台南市都市開発局からの依頼による、都心にあるかつてのショッピングモールを、緑豊かなラグーンへと変貌させ、都市と自然、そして水辺を再び結びつけたプロジェクト。(写真:© Daria Scagliola)
https://www.mvrdv.com/projects/272/tainan-spring