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他の誰でもない、自分のための「棚田バンク」とは

22 October 2020

「まつだい棚田バンク」(以下「棚田バンク」)のモットーのひとつに、”なるべく多くの、多様な人たちと関わること” があります。田植えや稲刈りのイベントを開いて実際に里親さん(棚田バンクのオーナーたちをこう呼びます)と話すと、みんなそれぞれに棚田バンクを解釈し、自分なりにサポートをしようとしてくれていることを実感します。棚田バンクへのアプローチの方法もさまざまですし、現地に来る頻度ももちろん違いますが、里親さんそれぞれが非常にユニークであることが、棚田バンクというプロジェクトのきらきら光る個性のひとつだと思っています。

今回のコラムでは、実際に棚田バンクを応援してくれている、とある里親さんにインタビューをしました。耕作や運営の立場からではなく、里親さんの立場から見た棚田バンクはどんなものなのでしょうか。


―自己紹介をお願いします。

清水さん(以下省略):清水一樹です。社会課題に対する理解を広めて、早期に解決することを目指す、株式会社リディラバという会社で働いています。転職して、去年の4月から今の会社で働き始めました。

株式会社Ridilover (リディラバ)/後列右から4番目が清水一樹さん

2013年設立。人と社会課題をつなぐ事業に取り組む。あらゆる社会問題を解決しうる課題ととらえ、解決に至るステップを「問題の発見」「社会化」「資源投入」の3段階に分けて実施。350種類以上の社会課題を扱い、スタディツアーの企画・催行の他、社会問題を学ぶオンラインサロン「リディ部」、調査報道Webメディア「リディラバジャーナル」、企業向け人材育成プログラム「フィールド・アカデミー」、社会問題のカンファレンス「リディフェス」を展開している。また近年では、企業・官公庁と協業して事業立案も行う。

―棚田バンクの里親になったきっかけは何ですか?

以前越後妻有で行う長期プログラムに参加した時に、地元の人や芸術祭を運営する人たちの話を聞く機会があり、その中で棚田バンクのことを知りました。実際に耕作している地域の当事者たちに対面しながら、そのプログラムの中で棚田バンクのことを深く考えるタイミングがあって、とにかく「棚田を守ろうとしている人たち」を支援することが大事だと思いました。当時は、棚田バンクに入らない以外の選択肢がなかったです。何でみんな入らないんだろう?と思ってました(笑)

―棚田バンクに参加する前と後では何か変わりましたか?

実は僕は、今の会社に転職をする時に両親に反対されていたんです。特に、父親からの反対は人生で初めてくらいの拒絶感を受けてしまいました。なぜかというと、大学から前の会社に就職するまでは、はたから見るとかなり順調で、両親も安心しきっていたんですよね。それで、「いきなりベンチャーに入って一攫千金」というふうに誤解されてしまった。そのあと表面的には関係は修復しましたが、自分が選んだ道には納得をしてもらえていない状況が続いていました。今の職業について、いくら言葉で説明しても納得される術はないと思っていて、それならば仕事を通してわかってもらうしかないと思いました。「自分の会社がいつか新聞記事に大きく載ったらいいなー」くらい、ぼんやりとしか考えてなかったのですが、ある日ふと気づいたんです。「あれ?これはお米を送ればいいんじゃないか?」と。

―すごい発想の転換ですね。清水さんは標準コースの里親ですが、その配当米(平均30kg:大人がひとりで食べるお米の半年分に相当)はすべてご両親に送っているんですか?

はい、そのまま全部を送っています。両親にしてみれば、ある日急に棚田バンクの事務局から清水家に大量のお米が送られてきた、という状況ですね。

リディラバの皆さんが夏に草刈りをしている様子

―なぜ、清水さんの人生の選択を、ご両親にわかってもらうための打開策が「棚田バンクの配当米を送る」だったのでしょうか?

言葉そのものは、必要としていない人にはいくら言っても効果がないと思い、となると言葉じゃないもので示すしかないと思っていて、かつそれは今の仕事に通じるものでないと伝わらないなと思うに至りました。それで、「お米というものは、父と僕の共通言語としてとても素敵じゃないか」と思ったんです。父や母の世代って、僕たちや他の世代よりも生活圏内に当たり前に農業がある人が多くて、いわばそれが「自分自身の原風景」という人って少なくないと思うんです。いつか将来、「実はあの米は、僕が会社で関わっている田んぼからできた米なんだよ」と、(言葉で伝えるのではなく自然と)両親に伝わる下地になれば、という想いがありました。

―実際のお父さまのリアクションはどうだったのですか?

父は普段から「お米がおいしい」なんて言うタイプではなかったんですが、あとで母から聞いたら、「この米はめちゃくちゃうまい」と食卓で言っていたと。何か具体的に、直ちに事態が好転したわけではないかもしれないけど、間違いなく何かが動いた瞬間でした。僕は、今は里親として棚田バンクを応援していますが、リディラバの仕事でも大地の芸術祭と関わっています。お米をまずは5年間両親に送り続けて、いつか棚田バンクのイベントや、大地の芸術祭に来てほしいなと思います。越後妻有に来て、「全然(良さが)わかんなかったなー」と言って帰る人って、あまりいないんじゃないかと思うんですよね。

清水さんが感銘を受けたという里親稲刈りイベント時の交流会の様子(2019年)。地元のお母さんたちがその場で採れたての新米をおにぎりにして提供した。(photo by YANAGI Ayumi)

―ご自身はイベントに参加するけど、配当米は違う誰かに贈りたいという要望や、棚田バンクの会員権を誰かに贈りたい、というニーズもだんだん高まってきていると感じます。清水さんにとって、棚田バンクの一番の魅力は何だと思いますか?

まさに、その「贈与の連鎖」の中に自分が入れるということだと思います。棚田バンクに会費としてお金を払って、棚田バンクからリターンとして贈与されたお米は、また他者にあげることが可能です。つまり、自分以外の誰かのために、棚田バンクを通して得たもの、お米だけでなく経験や人脈を役立てることができるかもしれないし、それがまたいつか違う誰かのためになるはず。そういうところだと思いますね。特に米は世代や立場を超えた共通言語だと個人的に思っていて、それをまた誰かに贈ることに、とても意味があると僕は信じています。

―最後に、今まさに「棚田バンクに入ろうかな」と迷っている方に、何かメッセージはありますか?

(ちょっと悩んでから)誰のためでもなく、自分のために入ってみてほしいんですよね。というのも、棚田バンクに入ることによって、「米がもらえる」「イベントに参加できる」という普遍的なものじゃなくて、その里親さん自身にとっての何か意味のあるものに絶対になると思うんです。棚田を助ける・支援するってなると、身構えちゃうかもしれないんですけど、高尚な気持ちじゃなくて大丈夫。もちろん、そういう気持ちもあるんですけど(笑)。とにかく、一度越後妻有に行ってみてほしいし、棚田バンクをひとつのきっかけにしてほしいと思います。

地元の方と畑の野菜もぎをするリディラバの皆さん(清水さんは左から4番目)


里親さんの出資に対して、まつだい棚田バンクが里親さんにできることは、できたお米を送ることだけなのだろうか。棚田バンクを担当するようになってから、ずっと考えてきたことです。今回のインタビューで、清水さんに大きなヒントをもらったように思います。

まつだい棚田バンクは、まだまだ発展途上のプロジェクトです。里親さんが増えることにより、私たちが預かって、続けていける田んぼが増えることになります。
ただ、それよりもまず、他の誰でもなく自分のために。そういった気持ちで、一度遊びに来てみてください!

 

まつだい棚田バンク 小野塚 愛

Information

まつだい棚田バンク

まつだい棚田バンクは「大地の芸術祭」が取り組むプロジェクトの一つです。新潟県十日町市松代(まつだい)は、「星峠の棚田」をはじめとした、日本有数の棚田が広がる地域。まつだい棚田バンクは、担い手のいなくなった田んぼをできる限り多く引き受け耕作しながら、「大地の芸術祭」が養ったネットワークを生かして、里親(棚田バンクオーナー)や地元住民、アーティスト企業や学生など、多種多様な人々とともに、都市と地域の交流を広げる活動を行っています。
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