芸術 / ミエレル・レーダーマン・ユケレス
スノーワーカーズ・バレエ(2003 / 2012年)
ミエレル・レーダーマン・ユケレス「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
芸術 / ミエレル・レーダーマン・ユケレス
スノーワーカーズ・バレエ(2003 / 2012年)
ミエレル・レーダーマン・ユケレス「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
テキスト・編集:内田伸一 編集:川浦慧(CINRA.NET編集部) 撮影:豊島望
19 December 2019
越後妻有の地は、日本有数の豪雪地帯でもあります。冬になると市街地にも雪が降り積もり、人も車も進めないほどです。そのためこの季節には、誰もが眠る午前3時ごろから除雪車が出動。街全体が動き出す7時ごろまでに道から雪を取り除き、暮らしを地道に支えてきました。
作品に参加した十日町市除雪センターの皆さん。左から、福﨑貢さん、庭野耕治さん、水落信幸さん。(2019年撮影)
米国コロラド州のデンバー出身アーティスト、ミエレル・レーダーマン・ユケレス(*1)がこの地を初めて訪れたのは、夏のこと。しかし彼女はそこで冬季の豪雪と除雪作業員の奮闘を耳にし、「豊穣な夏の美しさは、かくも厳しい冬と引き換えにある」ことに思いを馳せました。そして、彼ら除雪作業員と共にアートを作ろうと模索したのです。
*1:作者 ミエレル・レーダーマン・ユケレスのことば
13人の除雪作業員に会った時、私は言った。「冬、あなた方は英雄だとみんな思っているのでしょう?」 彼らは「そうだ」と答えた。「でも夏はみんなあなた方のことを忘れているのでしょう?」 彼らはニヤニヤし、「そうだ」とうなずいた。「だったら、今年の夏は、それを皆に思い出させてやりましょう」。(作品誕生時のメッセージ)
それは、除雪車たちがシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をモチーフにダンスを踊るという、前代未聞のパフォーマンス。巨大なブレードで雪道をかきわけるタイヤドーザー、回転式の羽根で雪を吹き飛ばすロータリー、道や積み上げた雪の壁を整地していくグレーダーなど、13台の除雪作業車をキャスティングし、作業員の熟練技術により、過酷な自然に生きる人間の力強さを伝える芸術を目指したのです。
「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
「私は8つの動き――はじまり、うねり、ロミオ&ジュリエット、らせん、ジグザグ、観客へのあいさつ、長い対角線、グランドフィナーレ――からなる除雪作業員のバレエを提案した。私は事前に計画するのを拒んだ。リスクはあってもうまくやれるだろう、作業員の人たちと一緒に仕事をするだけでできるという確信があった」(作品誕生時の作者のことば)
作家と除雪作業員たちが用いた台本。除雪車のフォーメーションや動きが細かく書き込まれている。
2003年の初演では、いくつもの除雪車が、ときに一糸乱れぬ迫力の群舞をみせ、ときに恋人たちの切実な感情を繊細に表現しました。舞台は、信濃川にかかる妻有大橋そばの河川敷。アーティストにとっては、人間が自然と直面しながら生きていくことも、人が人を愛することも、人類共通のテーマだという思いがあるのかもしれません。そして除雪車は、困難を乗り越えて道を切り拓く存在でもあります。
2003年の公演は1回切りでしたが、地元の人々と各地からこの芸術祭に訪れた人々、双方から好評を得て語り草となりました。さらに9年後の2012年の夏には「スノーワーカーズ・バレエ2012 雪上舞踏会」として、3日間の再演も実現(*2)。ユケレスと作業員たちは再会を果たし、上演に加え、除雪車たちが街なかをパレードする晴れ姿も見られました。
*2:2012年の再演
2003年に実現した1度限りの公演から9年後の夏、第5回「大地の芸術祭」において「スノーワーカーズ・バレエ2012 雪上舞踏会」が実現。ユケレスも現地を再訪し、新たな試みも取り入れた公演が計3公演行われた。
十日町市除雪センターの事務所には、今もこの作品を巡るたくさんの写真が貼られています。いつかまた、彼らの力強いダンスを見られる瞬間がやってくるかもしれません。
十日町市除雪センターの事務所に貼られた、作品を巡る数々の思い出。
福﨑貢さん(十日町市除雪センター スタッフ)
最初に計画を聞かされたときは、本当にそんなことができるのだろうか? と思いました。でも作家さんがこの作品の意義を伝えにやってきて、「この除雪車でこの動きはできますか?」などと熱心に相談してくるんですね。そのうち我々も「普段は絶対やらない動きだけど、練習すればできそうだ」「これは無理だが、代わりにこんな動作はどうだろう」と一緒に考えていく中で、あれができあがったんです。
「スノーワーカーズ・バレエ」2003年公演(撮影:安斎重男)
芸術っていうのは「見るもの」だと思ってきたけれど、まさか自分がやる側になるとは思わなかった。しかも、2012年にもう一回やるとなって、またも「まさか」でした(笑)。このときは3公演やって、県外から芸術祭を見にきたような人たちも、働く車が好きな孫を連れてやってきたおばあちゃんなども、全部で2000人ほど集まりました。私はもうすぐ引退ですが、もしこの先にまた実現することがあるなら、除雪機も進化しているし、また新しい舞台になるのかな、などと考えています。
プロフィール
福﨑貢さん
十日町市除雪センター スタッフ
2002年公演時の除雪車搭乗メンバーのひとり。さらに2012年の再演では「指揮者」として、ダンス全体の動きを無線で各除雪車に指示した。
北川フラム(『美術は大地から』編集長 / 「大地の芸術祭」総合ディレクター)
越後妻有の冬は厳しく、一年の半分を雪と共に過ごす地域もあります。そうした暮らしを長きにわたり地道に支えてきた存在のひとつが、除雪車と除雪作業員の皆さんです。アーティストのミエレルはこの「スノーワーカーズ」を、繊細で力強く、ときにユーモラスな演技もこなすダンスチームに仕立て上げたのでした。
「スノーワーカーズ・バレエ」2012年公演(撮影:中村脩)
この作品の上演後、そこにいた観衆は俳優たち、つまり除雪車と運転手らの方へ駆け寄っていきました。本作は、厳しい風土に生きる人間の強さを、そして冬ごとに地域を守り続ける除雪作業員を、盛夏の太陽の下で讃えるものでもあったのです。上演が終われば物質としては残らないテンポラリーな表現ですが、「スノーワーカーズ・バレエ」は「大地の芸術祭」の歴史に残る作品と言えます。
プロフィール
北川フラム(きたがわ ふらむ)
『美術は大地から』編集長 / 「大地の芸術祭」総合ディレクター
1946年、新潟県高田市(現・上越市)生まれのアートディレクター。2000年に始まった「大地の芸術祭」に、その準備段階から現在まで総合ディレクターとして関わり続けている。