運営 / 越後妻有の舞台裏から
10 March 2021
秋から冬の切り替わりはいつも劇的で、昨日まで枯れ野だった褐色の野山が降雪により、一面真っ白の雪に覆われます。普段であれば穏やかな冬の入りのはずが、今季は災害級の大雪でした。初雪から根雪となり、短時間で積雪は2メートルを有に越し、地元の人でさえ「いつもの一冬分の雪が積もってしまったよ」「今年の降り方は異常だよ」というほど。十日町生まれのスタッフも今年の大雪には驚いています。そんな大雪となった今年の除雪について、またこの豪雪地帯を生き抜いてきた地元の方々についてお話したいと思います。
「雪やこんこんあられやこんこん」とありますが、越後妻有の冬はそんな軽やかなものではありません。今年は県内の鉄道が運休になり、関越自動車道が完全にストップし、多くの車が52時間にわたって立ち往生するなど、昨年の小雪からは考えられないような凄まじい被害をもたらしました。そんななか、作品を守るため、私たちは除雪チームを組み作品の保護に当たっています。今年の除雪も松之山の空家作品「エリクシール/不老不死の薬」(ジャネット・ローレンス)から始まりました。
「エリクシール/不老不死の薬」(ジャネット・ローレンス)の除雪の様子
スノーダンプを担ぎ雪壁を登る。雪に埋もれ形の変わった農道を進む。作品にたどり着くと、屋根は大人1人埋まるほど雪が積もった状態。雪をおろす、どかすというのは重労働で危険を伴う作業ですが、都度除雪しないと作品の破損や倒壊を招きます。空家作品の多くは古民家を使用しています。雪には強い造りですが、放置しておくと崩壊する可能性があり、また外の雪と屋根の雪がつながってしまうと、これもまた良くありません。雪の重みで屋根が破損するからです。大地の芸術祭には、この冬の間にも作品を守り抜く多くの戦いがあるのです。
「米偶さん・むしゃむしゃ」(松本勇馬)の周りをスノーダンプで除雪している様子
作業現場を訪れると、どの作品も相当な積雪量で作業は難航しました。主に屋根の雪を下ろす作業になりますが、何も考えずに落とすだけだと、落とした雪が山となり、屋根とくっついてしまいます。それを避けるため、屋根の雪を横に持っていく「まくる」という作業を行います。この「まくる」作業は少し準備が必要で、足元が屋根なりに斜めになっていると雪を横に運ぶのが困難なため、足元を平らにします。私はこの「まくる」作業は初めてで、最初は足元を平行にするのがなかなかできず、慣れるのに苦労しました。
また、屋根の雪下ろしは落下の危険を伴います。屋根の端より外側にひさしのように張り出した雪を「雪庇(せっぴ)」といいますが、屋根があると思って足を出すと落下するため、まず雪庇を落とし、端を確認します。また除雪のときは、今でも竹と縄で作った「かんじき」を履きます。長靴だけだと、踏み固められていない雪の上は足を取られますが、「かんじき」は体重を分散させ雪の上を歩きやすくします。縄文時代から履かれていたというほど、長い年月受け継がれてきた大切な道具です。しかし、場合によっては滑りやすくなるため敢えて脱いだりと、対策を立てて事故を防ぎます。私は十日町に26年住みましたが、そんな私でも知らなかったような除雪のノウハウを、空き家作品の雪下ろしを経験したことで学ぶことができました。
今年の除雪は、たくさんの地元の方にお手伝いいただきました。特に三省ハウスの除雪では、小谷集落の皆さん総出で校舎の雪下ろしをしてくださり、1日かかる予定が半日で終わらせることができました。そういった地域の支えがあるからこそ、私たちは作品を守り抜くことができるのです。作業後、三省ハウス内の食堂で小谷集落の皆さんとカレーを食べたとき、集落の方が「若い人がいてくれて頼もしい。これからも頑張ってくれ!」と言ってくださり、嬉しく感じたシーンがありました。体力の消耗は激しく、心も折れる作業ですが、「地元の人に応援されてる。頼りにされてる。地元のためにもっと頑張らなければ」と、以降の除雪に向けて前を向くきっかけとなりました。
除雪の帰り道
そのような豪雪地帯を何十年と乗り越えてきている、地元の方にこの地の除雪についてお話を伺いました。最も積雪が多かった昭和56年と59年。その年は電線近くまで雪が積もり、子どもたちは電線をまたぎながら通学していたといいます。この豪雪地では、家などを雪から掘り出す作業となるため、除雪作業を「雪かき」とは言わず、「雪掘り」と言います。当時は現在のような除雪機もなく、道路も埋まってしまっているため、生活するにはカンジキで踏んで道を作る「道付け」をしなければなりません。ここの電柱からあっちの電柱まで…というように各家の担当範囲がなんとなく決まっていたため、冬は除雪や道付けが家庭ごとにしっかりやれていないと喧嘩が起こっていたとか。でも春になると雪溶けとともに仲直りしていく、そんな豪雪地帯ならではの喧嘩を地元の方たちは「雪喧嘩」と言います。雪が降ると交通手段が無いので食材や郵便を担ぎ歩いて届ける人たちがいたり、お父さんが都会に出稼ぎに行っているなか、子どもたちやおじいさんおばあさんで大雪のなか除雪したりと過酷な日常があったといいます。それに比べて今は除雪車があり車も走れているが、今年の大雪は必死に生き延びた昭和56年、59年を少し思い出させるような、雪と向き合う冬となったそうです。
道付をしている様子 まつだい郷土資料館資料より
十日町から物資を背負って松代まで運んでいる様子 まつだい郷土資料館資料より
「雪」というものは人々に楽しみを与え、恵を与え、感動を与えるものだと思っています。雪が降れば雪だるまが作れるしスキーもできる、雪が降れば越後妻有のような圧倒的な風景を作り出し、雪が溶ければ水が生まれ、その水を利用して田んぼでお米を作り、美味しいお米が生まれる。しかし、時に「雪」は牙を剥きます。車両事故の多発、建物崩壊、雪崩れで人を飲み込むことだってあります。人は自然には勝てません。雪とどう向き合えばいいのか。そう考えていた時に、除雪チームの先輩が除雪指導する際に言っていた言葉を思い出しました。
「雪と友達になることが大切だよ。」
除雪クルー。かんじきとスノーダンプという定番スタイルにて。
越後妻有に住むと、冬場は雪との長い付き合いになります。ここに住む多くの人は、冬を迎える前に「また長い冬が来る」と憂鬱になります。そんな雪と「うまく仲良く付き合う」ことが、雪国に住むうえで大切ではないかと思います。雪だけに留まらず、着もの、食べもの、建物など、この地域には継承されるべきものがたくさんあります。昔の人々が身に着けていた、豪雪地を生き抜く術をしっかりと私たちが受け継ぎ、美しい風景と美味しいお米を生み出す、この素晴らしい地の良さを多くの人に伝えていきたいと思います。
文 峰岸海里(一部文章提供 横尾悠太)
文・編集 森希紗
/NPO法人越後妻有里山協働機構