運営 / 越後妻有の舞台裏から
29 October 2019
10月27日、莇平(あざみひら)集落に、アーティスト・日比野克彦さんや佐藤悠さん、地元、東京藝術大学・専修大学の先生や学生、取手アートプロジェクトの皆さん、そして芸術祭サポ―ターと、多種多様な面々が集まり、「明後日朝顔新聞社文化事業部」の収穫祭が行われました。
朝顔の種を摘む日比野さん
生憎の雨で塗れてしまった朝顔の種。蔦が絡むロープをブンブン振って種の入った実を落としたら、その実をつぶして扇風機で殻を飛ばし、種を選別していきます。
作業終了後、日比野さんの乾杯の掛け声とともに収穫祭がスタート。
みんなでついた新米のお餅を、地元女衆が作った具材たっぷりの豚汁に入れていただきます。おかずには巨大落花生とタニシ(!)。タニシが食卓に並んだのも驚きでしたが、銃猟免許をもつお兄さん方とした話も衝撃でした。猪は猪突猛進というけれど90度に曲がれる俊敏な動物で、牙が人間の太ももの高さにあって大腿動脈に突き刺さるので熊よりも危険だとか、銃猟免許をとるには警察による周辺調査や自宅訪問があるとか、熊はその場でバラシて食べられる部分だけ運ぶとか、冬は鴨を仕留めて鍋をするからお前は毛をむしる係だとか。莇平にいるとディープな体験ばかりです。
莇平集落で日比野さんが作品を発表したのが、2003年の大地の芸術祭。あしたのその次を思い描くプロジェクト型作品、「明後日新聞社文化事業部」の誕生です。しかし、最初は集落との距離があったと日比野さんは言います。集落との打ち合わせでどんな話題をふっても会話が続かず、「帰りたい・・・」と日比野さんが思っていたとき、ふと目にした花壇のことを口にしたそう。すると会話が弾み始め、文化事業として花を一緒につくろう!と決まり、「朝顔ならつくれるすけ(方言)」という高橋カヤさんの一言で「明後日朝顔」が生まれました。「あのとき、もしカヤさんが『夏だからヒマワリだすけ』と言えば、ヒマワリの種を採っていたね」と日比野さんは笑います。
撮影:石塚元太良
左から2番目が高橋カヤさん
2003年の芸術祭終了後、「朝顔の種って採れるよね」と、そして「また朝顔を植えられるね」と、結局日比野さんは毎年集落を訪れ、今年で17回目の収穫になりました。さらに明後日朝顔プロジェクトは、莇平集落から水戸、金沢、岐阜、横浜、沖縄、台北花蓮(台湾)・・・と29か所へ広がりました。種子島ではロケットで宇宙にも飛んでいき、今では年に1度「明後日朝顔全国会議」が開かれるほど。カヤさんたちは、パイオニアとして各地に指導に行き交流も生まれるなど、本プロジェクトは、人と人、人と地域、地域と地域をつなぐ橋渡しとなっています。
≫明後日朝顔プロジェクト(HIBINO SPECIAL サイト)
日比野さんたちは、収穫祭だけでなく、春は田植え、夏は盆踊り、秋は稲刈りと収穫祭、冬は小正月を祝いに、毎年足繁く通ってくれます。山奥の集落で、日比野さんや学生たちが地元のお父さんお母さんとお酒を酌み交わし、肩を組んで笑いあい、「次は小正月だね」と言って帰っていく光景は奇跡のよう。越後妻有では多くの集落でこんな奇跡が生まれています。そんな光景を思い出しながら事務所に戻り、上着を脱げば種がポロリ。ズボンの裾から種がポロリ。全身に降り注いだ種の雨。その粒を手にとり、愛おしく見つめてしまった1日でした。
大地の芸術祭 広報
山口朋子