確かに私はよくイメージを創造している。しかし、清津峡では、イメージを見せるより、訪れる人々、地域の人々に、現実について考えて欲しいと強く感じた。私は彼らに、この環境と別の環境を与えたくなかった。私は空間に関する強迫的で力強い言葉を借りた。春に戻ってきたときに、中里の住人が、このテキストを朗読し解釈することに協力してくれた。歩行者用のトンネルを抜けようとすると、その声が流れ、訪れた人々の目の前には急流とその周りの峡谷の強烈な景色が広がることになる。これが私たち流の「花見」の宴である。一緒に分かち合ったこの瞬間を厳粛なものにするため、私は、14人の朗読者それぞれに、彼らの肖像と朗読した文の載った手作りのアーティスト・ブックを手渡した。「空間はわれわれを専有する。われわれは目で見ることができる範囲の空間しか所有しない。しかし空間はわれわれを疲れさせる。怖がらせる。われわれを呼び寄せる。追い払う。」(*) (*)19世紀のサラエボの同じ「谷」を背景としたメシャ・セリモヴィッチ『ダルウィーシュ(修行僧)と死(神)』より抜粋
作品番号 | N018 |
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制作年 | 2003 |
エリア | 中里 |
集落 | 清津峡 |
公開期間 | 終了 |